-
2025.06.04オルタナとモノづくりオルタナサーフワックスをつくっている松山油脂は、東京都墨田区に本社のある、石けん・スキンケアメーカーである。1908年に墨田区で創業、1946年から石けんの製造をスタートし、現在に至っている。当初は大手石けんメーカーの下請けが主だったが、今ではほとんどが自社ブランド製品で、バラエティストア、GMS、ライフスタイルショップなどを中心に販売している。これらの製品は、墨田区の本社工場と、山梨県にある富士河口湖工場でつくられる。墨田工場では、天然の油脂を主原料に、昔ながらの「釜焚き」と呼ばれる製法で石けんを、富士河口湖工場では、標高1700m地帯にある針葉樹の原生林を源とする富士山の伏流水を原料に、スキンケア製品をつくっている。 数年前松山油脂に入社した私は、はじめの2か月間工場研修として、墨田工場と富士河口湖工場で製造現場の仕事を体験した。私は社会に出てから大半の時間を商事会社の営業職として過ごしてきたので、ものづくりの現場に関わったことは数えるほど、それも委託工場の視察といった通り一遍のものでしかなかったわけだが、そんな私にとって工場での経験は素晴らしく、毎日が新鮮な驚きと感動の連続であった。 まず驚いたことは、スタッフひとりひとりのモノづくりに対する姿勢である。すべてのスタッフが、当事者としてお客様に良いものを届ける、という使命感をもって仕事に臨んでいる。誰もが自分の仕事についてしっかりと考え、品質に責任を持ち、何か問題が起きればすぐに集まり、意見を交換し、解決策を見つけ出す。そんな光景がそこかしこで繰り広げられていた。更に、工場のいたるところに、小さなアイディアが積み重ねられていることも見逃せないポイントであった。それぞれの現場で、メインの設備は言うに及ばず、収納の仕方、袋の折り方、服のほこりを取るためのコロコロの使い方まで、全てのものに、ささやかだが秀逸なルールが施され、正確に運用されていた。知恵と工夫を受け継ぎ、改善しながらいまに残してきた歴史とクリエイティビティに、とても感動したことを覚えている。振り返ると、私にとってこの2か月は、松山油脂の根っこを理解するための貴重な時間だったのだと思う。 このような環境でオルタナサーフワックスはつくられている。「サーフワックスは石けんと形が似ているからつくれそう」、そんな冗談みたいなきっかけではじまったこのプロジェクトも、この4月で丸2年。社内スタッフだけでなく、コンセプトに共感し協力してくださった、サーファーの仲間たちも巻き込んで、なんとかここまでやってきた。サーフワックスなどつくったこともなく、はじめは戸惑い気味だった石けんづくりのプロたちも、今では「このバンプじゃグリップ弱いんじゃないか?」「コールドでも、裸足で試さないと感覚つかめないな」 などと、すっかりサーフワックスづくりのプロとして、日々改善に取り組んでいる。つねに進化を求め、課題を解決するために寸暇を惜しまず、それまで蓄積した知識と経験とノウハウを注ぎ込み、夢中になって突き進む。問題にぶつかると、足を止め、集まり話し合う。それを2年間繰り返してきた結果、オルタナサーフワックスの機能は飛躍的に向上した。これこそがメーカーの底力なのだと思う。モノづくりのプロたちが、すり切れるほど考え続ければ、出来ないものなどないのだ。こんなモノづくりのど真ん中から生まれたオルタナサーフワックスを、これからも見守っていただきたい。
-
2025.03.31オルタナとファッションサーフィンとファッションの歴史は長い。いまでこそ、スポーツとファッションは密接につながり、ゴールドウィンやデサントが表参道や代官山に洒落た路面店を構え、ハイブランドもこぞってスポーツテイストを取り入れているが、西海岸からサーフィンという新しいカルチャーが上陸した1970年代には、スポーツとファッションは、いまよりも区分がはっきりしていたように思う。その頃、雑誌ポパイなどを中心に若者に流行し始めていたスポーツは、サーフィン、スケートボード、テニス、フリスビー、BMXなどであったが、サーフィンだけはファッションと直接結びつき、サーファーファッションなどと呼ばれた。今にして思えば、はっきりジャンルがあったわけではなく、サーファーが毎日を気持ちよく過ごすために選ぶ服や日用品、ライフスタイルが格好良くて、それをメディアが取り上げただけだったのかもしれない。洗いざらしの少しくたびれたTシャツやスウェット、レインスプーナーのプルオーバー、リーバイスのデニムやコーデュロイ、足元はサンダルかスニーカー、スエードのワラビーなども人気だった。古着屋が出来はじめたのもこのころで、原宿や下北沢なんかに通っては、夢中になって掘り出し物を探したものである。「結局サーファーが一番格好良いから!」当時高校生だった私は、渡り廊下で同級生にそう断言したのを今でもよく覚えている。それには訳がある。中学生時代の私は救いようのない問題児であった。内向的なくせに反抗的、他者とコミュニケーション取る気ゼロ、今で言う中二病をこじらせきっていた。そんな私はある夏、息子の将来を憂いた両親の策略で、YMCAのサマーキャンプに放り込まれた。野尻学荘というそのサマーキャンプでは、私のような中学生男子が8人ずつに班分けされ、大学生のリーダーと、高校生のサブリーダーと共に1か月過ごすのだが、私の班のリーダーが斉藤君というサーファーであった。斉藤君は少しウェーブのかかった長髪、細身で色黒、ブーツカットのコーデュロイに、黄色やオレンジのTシャツを合わせ、アディダスのTABACCOを履いていた。斉藤君は格好良いだけでなく、優しくて面倒見がよく爽やかで、皆の憧れだった。夜になるとランプを囲みながら、私たちクソガキに自然や海のすばらしさを、キラキラした目で話してくれた。ささくれ立った私の心は、いつしか斉藤君の手の中で丸くなり、キャンプが終わるころには、それまでより少しだけまっとうな人間に生まれ変わったと思う。その時から、私の中でサーファーは、お洒落で大らかで、自然や海と共に生きる、一番格好良い存在になった。あれから50年近く経つが、今でも私にとってサーファーは、最高に格好良い存在である。オリンピック競技になり、SUPなど新しいスタイルも生まれたが、毎日を心地よく過ごしたいと願う彼らの気持ちやライフスタイルは、何ひとつ変わらない。70年代のサーファーたちのライフスタイルがファッションとなり、今でも受け継がれているように、50年後に振り返った時、「オルタナサーフワックス」も、サーファーたちのライフスタイルのひとつとして語り継がれていたら、こんな嬉しいことはない。
-
2025.01.27オルタナと環境「サーフィンは地球に押してもらうスポーツだよね」。昔友人にそう言われたことがある。彼はサーファーではなかったが、的を射ている。地球や自然を舞台にするスポーツはほかにもたくさんある。ヨット、ハンググライダー、カヌー、クライミング、スキー、スノーボードなど、挙げ出したらきりがない。だが「地球に押してもらう」という言い方がしっくりくるのはサーフィンだけだと思う。ボードの上に裸足で乗るだけの極めてシンプルな装備で、地球の力を受け止める。反対意見もあるだろう。サーフィンを日本語で言うと「波乗り」だし、「良いライディングだったね」と褒められることはあっても「良い波に押されてたね」とは言われない。波という言葉を使うなら「波にもまれてたね」とか「飲まれてたね」である。地球に押されるのではなく、自分の力で、自分の技術で波を乗りこなしてこそサーフィン、それが正しい定義なのかもしれない。しかし、である。初めて波に乗れた時、初めてボードに立てたときのことを思い出してほしい。頭が真っ白になり、浮いているような、飛んでいるような、とにかく気持ちの良いあの瞬間。アドレナリンが出まくって、ほかのことが全部どうでもよくなったあの瞬間だけは、間違いなく地球に押されていたと思う。サーフィンほどシンプルに無防備に、地球と自然と一体になれるスポーツは他にない。だからサーファーは、自然や環境への強い意識がDNAレベルで刷り込まれる。少なくとも私はそう信じている。オルタナは、石けんとスキンケア製品のメーカーである松山油脂が、石油由来の原料を使わずにつくったサーフワックスである。イベントや営業先のサーフショップで「パラフィンを使っていないサーフワックス」と伝えるだけで、意味を理解し、興味を示し、前向きに受け入れてくれる。サーファーの環境意識の高さがよくわかる。だが、世界中すべてのサーファーがオルタナサーフワックスを使っても、化石資源の枯渇を止めることはできないだろう。なぜなら、私たちの日々の暮らしに欠かせない、物流や電力などのインフラ、鉄やプラスチックなどさまざまな物資は、今も一定量の化石資源を必要としているからだ。では、なぜ私たちは続けるのか。ひとつは、続けてさえいれば小さくても確実に効果が出せるから、そしてもうひとつは、製品に込めた思いを、サーフィンを通して世界中に広げていけるからだ。大切なのはどれだけ多くの人に思いを伝えていけるか、である。サーファーは世界中にいて、サーフィンという共通言語でつながっている。初めて会った人でも、サーフィンがあればすぐにコミュニケーションをとることができ、仲間意識が生まれる。そんな幸福な人たちの、共通の日用品ともいえるサーフワックスを通して、彼ら彼女らのコミュニティの内外にオルタナの思いを伝え広げていくことが、必ず地球の未来につながると信じ、私たちは今日もワックスをつくり続ける。