2025.03.31
オルタナとファッション
サーフィンとファッションの歴史は長い。いまでこそ、スポーツとファッションは密接につながり、ゴールドウィンやデサントが表参道や代官山に洒落た路面店を構え、ハイブランドもこぞってスポーツテイストを取り入れているが、西海岸からサーフィンという新しいカルチャーが上陸した1970年代には、スポーツとファッションは、いまよりも区分がはっきりしていたように思う。その頃、雑誌ポパイなどを中心に若者に流行し始めていたスポーツは、サーフィン、スケートボード、テニス、フリスビー、BMXなどであったが、サーフィンだけはファッションと直接結びつき、サーファーファッションなどと呼ばれた。今にして思えば、はっきりジャンルがあったわけではなく、サーファーが毎日を気持ちよく過ごすために選ぶ服や日用品、ライフスタイルが格好良くて、それをメディアが取り上げただけだったのかもしれない。洗いざらしの少しくたびれたTシャツやスウェット、レインスプーナーのプルオーバー、リーバイスのデニムやコーデュロイ、足元はサンダルかスニーカー、スエードのワラビーなども人気だった。古着屋が出来はじめたのもこのころで、原宿や下北沢なんかに通っては、夢中になって掘り出し物を探したものである。「結局サーファーが一番格好良いから!」当時高校生だった私は、渡り廊下で同級生にそう断言したのを今でもよく覚えている。それには訳がある。中学生時代の私は救いようのない問題児であった。内向的なくせに反抗的、他者とコミュニケーション取る気ゼロ、今で言う中二病をこじらせきっていた。そんな私はある夏、息子の将来を憂いた両親の策略で、YMCAのサマーキャンプに放り込まれた。野尻学荘というそのサマーキャンプでは、私のような中学生男子が8人ずつに班分けされ、大学生のリーダーと、高校生のサブリーダーと共に1か月過ごすのだが、私の班のリーダーが斉藤君というサーファーであった。斉藤君は少しウェーブのかかった長髪、細身で色黒、ブーツカットのコーデュロイに、黄色やオレンジのTシャツを合わせ、アディダスのTABACCOを履いていた。斉藤君は格好良いだけでなく、優しくて面倒見がよく爽やかで、皆の憧れだった。夜になるとランプを囲みながら、私たちクソガキに自然や海のすばらしさを、キラキラした目で話してくれた。ささくれ立った私の心は、いつしか斉藤君の手の中で丸くなり、キャンプが終わるころには、それまでより少しだけまっとうな人間に生まれ変わったと思う。その時から、私の中でサーファーは、お洒落で大らかで、自然や海と共に生きる、一番格好良い存在になった。あれから50年近く経つが、今でも私にとってサーファーは、最高に格好良い存在である。オリンピック競技になり、SUPなど新しいスタイルも生まれたが、毎日を心地よく過ごしたいと願う彼らの気持ちやライフスタイルは、何ひとつ変わらない。70年代のサーファーたちのライフスタイルがファッションとなり、今でも受け継がれているように、50年後に振り返った時、「オルタナサーフワックス」も、サーファーたちのライフスタイルのひとつとして語り継がれていたら、こんな嬉しいことはない。